マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の”I HAVE A DREAM”演説の解説と全文

海外の偉人

1963年8月28日にワシントンD.C.で行われたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアによる演説で有名なフレイズ”I HAVE A DREAM”を聞いたことのある人は多いと思います。

アメリカでGeorge Floydさんが白人警官に不適切な拘束方法により殺害された事件で、ミネソタ州裁判所は白人警官に禁固22年6か月を言い渡しました。

2020年のアメリカ社会の分断の構図には非常に驚かされたと同時に、現在の人権やダイバーシティといった考え方は非常に歴史的には新しいものということを改めて実感しました。

アメリカにおいて黒人差別の問題解決を大きく前進させたのがマーティン・ルーサー・キング・ジュニアです。

彼はどのような言葉でアメリカを変えたのでしょうか?

  • キング牧師の演説を解説してほしい
  • 実際に何を話したか知りたい
  • 当時の時代背景を知りたい

このような方に解説させていただきます。

小・中学校の頃、4年間アメリカのニューヨークで過ごしました。

アメリカではキング牧師の誕生日は祝日(祝日は1月の第3月曜日)となっています。

小学校では特に、毎年キング牧師の偉業を学び、讃えています。

I have a Dream(有名箇所翻訳)

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

I have a dream today!

今日、私には夢がある。

I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of “interposition” and “nullification” — one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and rothers.

I have a dream today!

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。

当時の時代背景

ジョージア州、ミシシッピ州、アラバマ州はいずれも黒人への人種差別が激しかった州です。

共通点はいずれもアメリカの南部の州ということです。

アメリカは北部が商業で発展し、南部はコットンなどを栽培する大規模なプランテーションによる農業で発展していました。南北戦争前のプランテーションでは多くの個人が奴隷として労働させられており、南部の州にとって奴隷の開放を認めることは、労働力の確保がむつかしくなることを意味していました。南北戦争の発端はこのような分断が関係しています。

ちなみに英語で南北戦争は”The Civil War”(内戦)といわれます。

南北戦争は1865年に終わっていますが、ここからキング牧師の演説までの約100年間、アメリカに住む黒人は奴隷ではなくなったものの、厳しい状況に置かれてしまいます。

1960年代まで、トイレ、レストラン、学校、交通機関などあらゆるものが白人と黒人で分けられていました。

しかし1955年のローザ・パークスの事件から徐々に人種差別の反対運動が広がっていきます。

ローザ・パークスの事件

1955年の12月1日、ローザ・パークスという女性がバスで仕事から帰宅していました。

当時のバスは前方が白人用の座席で後部が黒人用と分けられていました。

ローザ・パークスは黒人用の座席の一番前に座っていましたが、白人用の座席は満席となったため、運転手がローザ・パークスとそのほかの黒人乗客に席を譲るように指示しました。

黒人乗客は席を譲りましたが、ローザ・パークスはただ一人、席に座ったまま抗議を続けました。

彼女はこの後、人種差別法違反の罪で逮捕されました。

これに抗議するため、1955年12月5日の彼女の裁判当日、街の黒人がバスに乗ることをボイコットするバスボイコット運動がおこりました。

そこに参加していたのがマーティン・ルーサー・キング牧師です。

彼は後に、非暴力での公民権運動を訴えるモントゴメリ向上協会(MIA)リーダーとなります。

ローザ・パークスはマーティン・ルーサー・キング牧師と並び、非暴力で黒人差別撤廃を訴えかけたヒーローです。

今でもアメリカでは、「国を変えるのはひとり一人の小さな行動から」というメッセージの例としていろいろな場面で取り上げられるエピソードです。

全文

I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.

Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.

私は今日、わが国の歴史上最も偉大な自由へのデモンストレーションとして歴史に残るであろう行事に、皆さんとともに参加できることをうれしく思っています。
50年前、今日我々がその象徴的な影で立っている偉大なアメリカ人は、奴隷解放宣言に署名した。この重大な法令は、枯れ果てた不正の炎に焼かれていた何百万人もの黒人奴隷に、希望の大きな道標を示すものであった。それは、彼らの囚われの長い夜を終わらせる喜びの夜明けとしてやってきた。

But one hundred years later, the Negro still is not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languished in the corners of American society and finds himself an exile in his own land. And so we’ve come here today to dramatize a shameful condition.

しかし、100年経った今でも、黒人は自由ではありません。100年経っても、黒人の生活は、隔離の手枷と差別の鎖によって、悲しいほど不自由なままである。100年後、黒人は物質的な繁栄の大海の中で、貧困の孤島に住んでいる。100年後の今も、黒人はアメリカ社会の片隅に追いやられ、自分の国から追放されたようなものだと気づいています。そして、今日、私たちはこの恥ずべき状態をドラマチックに表現するためにここに来たのです。

In a sense we’ve come to our nation’s capital to cash a check. When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the Declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir. This note was a promise that all men, yes, black men as well as white men, would be guaranteed the “unalienable Rights” of “Life, Liberty and the pursuit of Happiness.” It is obvious today that America has defaulted on this promissory note, insofar as her citizens of color are concerned. Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check, a check which has come back marked “insufficient funds.”

ある意味で、私たちは小切手を換金するために首都にやってきたのです。この共和国の設計者たちが憲法と独立宣言の壮大な言葉を書いたとき、彼らはすべてのアメリカ人が相続人となる約束手形に署名したのである。この約束は、すべての人、そう、白人だけでなく黒人にも、「生命、自由、幸福の追求」という「奪うことのできない権利」が保証されるというものであった。今日、アメリカは、有色人種の市民に関する限り、この約束手形を不履行としたことは明らかである。この神聖な義務を果たす代わりに、アメリカはニグロの人々に不渡りを出した。

But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt. We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation. And so, we’ve come to cash this check, a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice.

We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of Now. This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism. Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God’s children.

しかし、私たちは、正義の銀行が破産したとは信じません。この国の機会という大きな金庫に十分な資金がないなどとは、断じて思いません。そこで、われわれはこの小切手を現金化するために来た。この小切手は、要求に応じて、自由の富と正義の安全をわれわれに与えてくれる。
私たちはまた、この神聖な場所に来て、米国に「今」の緊急性を思い起こさせました。今は、冷静になるための贅沢をしたり、漸進主義という精神安定剤を飲んだりしている時ではありません。今こそ、民主主義の約束を実現するときです。今こそ、暗く荒涼とした隔離の谷から、太陽の光が差し込む人種的正義の道へと立ち上がるときである。今こそ、わが国を人種的不公正という流砂から、兄弟愛という固い岩に引きあげる時である。今こそ、神の子たち全員のために正義を実現するときである。

It would be fatal for the nation to overlook the urgency of the moment. This sweltering summer of the Negro’s legitimate discontent will not pass until there is an invigorating autumn of freedom and equality. Nineteen sixty-three is not an end, but a beginning. And those who hope that the Negro needed to blow off steam and will now be content will have a rude awakening if the nation returns to business as usual. And there will be neither rest nor tranquility in America until the Negro is granted his citizenship rights. The whirlwinds of revolt will continue to shake the foundations of our nation until the bright day of justice emerges.

この瞬間の緊急性を見過ごすことは、国家にとって致命的である。黒人の正当な不満が渦巻くこの夏は、自由と平等の活気に満ちた秋が訪れるまで過ぎ去ることはないでしょう。1963年は終わりではなく、始まりなのです。そして、黒人が鬱憤を晴らす必要があり、これで満足するだろうと期待している人々は、もし国家が通常通りのビジネスに戻れば、ひどい目に遭うことになるでしょう。そして、黒人に市民権が与えられるまで、アメリカには安息も平穏もないだろう。正義の日が訪れるまで、反乱の渦は国の根幹を揺るがし続けるだろう。

But there is something that I must say to my people, who stand on the warm threshold which leads into the palace of justice: In the process of gaining our rightful place, we must not be guilty of wrongful deeds. Let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of bitterness and hatred. We must forever conduct our struggle on the high plane of dignity and discipline. We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence. Again and again, we must rise to the majestic heights of meeting physical force with soul force.

しかし、正義の宮殿に通じる暖かい敷居に立つ我が国民に、言わなければならないことがある。正しい位置を得る過程で、不正な行為をしてはならない。苦渋と憎悪の杯を飲むことによって、自由への渇きを満たそうとしてはならない。われわれは永遠に尊厳と規律という高い次元で闘争を遂行しなければならない。われわれの創造的な抗議が、肉体的な暴力に堕ちることを許してはならない。われわれは何度も何度も、肉体の力を魂の力で打ち負かすという壮大な高みに上がらなければならない。

The marvelous new militancy which has engulfed the Negro community must not lead us to a distrust of all white people, for many of our white brothers, as evidenced by their presence here today, have come to realize that their destiny is tied up with our destiny. And they have come to realize that their freedom is inextricably bound to our freedom.

We cannot walk alone.

And as we walk, we must make the pledge that we shall always march ahead.

We cannot turn back.

なぜなら、今日ここにいることからもわかるように、多くの白人の兄弟は、自分たちの運命がわれわれの運命と結びついていることを理解するようになったからである。そして、彼らは自分たちの自由が私たちの自由と表裏一体であることを理解するようになったのです。
私たちは一人では歩けません。
そして歩くとき、われわれは常に前進することを誓わなければならない。
われわれは後戻りすることはできない。

There are those who are asking the devotees of civil rights, “When will you be satisfied?” We can never be satisfied as long as the Negro is the victim of the unspeakable horrors of police brutality. We can never be satisfied as long as our bodies, heavy with the fatigue of travel, cannot gain lodging in the motels of the highways and the hotels of the cities. We cannot be satisfied as long as the negro’s basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one. We can never be satisfied as long as our children are stripped of their self-hood and robbed of their dignity by signs stating: “For Whites Only.” We cannot be satisfied as long as a Negro in Mississippi cannot vote and a Negro in New York believes he has nothing for which to vote. No, no, we are not satisfied, and we will not be satisfied until “justice rolls down like waters, and righteousness like a mighty stream.”

公民権運動の信奉者たちに、”いつになったら満足するのか “と問いかけている人たちがいる。黒人が警察の残虐行為という言いようのない恐怖の犠牲者である限り、我々は決して満足することはできない。旅の疲れで重くなった体が、高速道路のモーテルや都市のホテルに泊まることができない限り、私たちは決して満足することができない。 黒人の基本的な移動手段が、より小さなゲットーからより大きなゲットーへの移動である限り、我々は決して満足することができない。私たちの子供たちが、「白人専用」と書かれた標識によって自尊心を奪われ、尊厳を奪われる限り、私たちは決して満足することはできない。”白人専用 “と書かれた看板によって ミシシッピの黒人が投票できず、ニューヨークの黒人が投票するものがないと思っている限り、我々は満足することはできない。正義が水のように流れ落ち、正義が大いなる流れのように現れるまで、私たちは満足しないでしょう。

I am not unmindful that some of you have come here out of great trials and tribulations. Some of you have come fresh from narrow jail cells. And some of you have come from areas where your quest — quest for freedom left you battered by the storms of persecution and staggered by the winds of police brutality. You have been the veterans of creative suffering. Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive. Go back to Mississippi, go back to Alabama, go back to South Carolina, go back to Georgia, go back to Louisiana, go back to the slums and ghettos of our northern cities, knowing that somehow this situation can and will be changed.

Let us not wallow in the valley of despair, I say to you today, my friends.

皆さんの中には、大きな試練や苦難を乗り越えてここに来られた方がいることを、私は知らないわけではありません。狭い牢屋から出てきた人もいます。また、皆さんの中には、自由を求めるあまり、迫害の嵐に打ちのめされ、警察の横暴の風を受けてよろめいた地域から来た方もいらっしゃいます。あなた方は創造的な苦しみの退役軍人でした。得がたい苦しみは贖罪につながるという信念のもとに、活動を続けてください。ミシシッピに戻り、アラバマに戻り、サウスカロライナに戻り、ジョージアに戻り、ルイジアナに戻り、北部の都市のスラムやゲットーに戻り、何とかこの状況を変えられる、変えられるということを知りながら、活動してください。
絶望の谷にもがき苦しむことのないように、私は今日、友人たちに言いたい。

And so even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: “We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal.”

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

I have a dream today!

I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of “interposition” and “nullification” — one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.

I have a dream today!

I have a dream that one day every valley shall be exalted, and every hill and mountain shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight; “and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together.”

そうして今日と明日の困難に直面しても、私には夢がある。それは、アメリカン・ドリームに深く根ざした夢である。
いつの日かこの国が立ち上がり、その信条である「われわれはこれらの真理を自明のものとし、すべての人間は平等に造られている」を実践する日が来るという夢です。
私には夢がある。いつの日かジョージアの赤い丘で、元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが、兄弟愛のテーブルに一緒に座ることができるようになるのだ。
不正の熱でむせ返り、抑圧の熱でむせ返るミシシッピ州でさえ、いつの日か自由と正義のオアシスに変わるという夢がある。
私の4人の子供たちが、いつの日か、肌の色ではなく、人格の中身で判断されるような国に住むことを夢見ているのです。
私は今日、夢を持っています。
私には夢がある。いつかアラバマ州で、凶暴な人種差別主義者がいて、知事が「介入」や「無効化」という言葉を唇に垂らしているが、いつかここアラバマ州で、小さな黒人の少年や少女が、小さな白人の少年や少女と姉妹や兄弟として手を取り合うことができる日が来るのだ。
私には今日、夢がある。
いつの日か、すべての谷が高くなり、すべての丘と山が低くなり、荒れた場所が平らになり、曲がった場所がまっすぐになり、「主の栄光が現われ、すべての肉体はそれを共に見る」という夢を持っているのです。

This is our hope, and this is the faith that I go back to the South with.

With this faith, we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope. With this faith, we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. With this faith, we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day.

これが私たちの希望であり、これこそ私が南方へ帰る信仰なのです。
この信念があれば、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。この信念があれば、私たちは、わが国の不協和音を、兄弟愛の美しいシンフォニーに変えることができるだろう。この信仰によって、私たちは共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるようになる。

And this will be the day — this will be the day when all of God’s children will be able to sing with new meaning:

My country ‘tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing. Land where my fathers died, land of the Pilgrim’s pride, From every mountainside, let freedom ring!

And if America is to be a great nation, this must become true.

And so let freedom ring from the prodigious hilltops of New Hampshire.

Let freedom ring from the mighty mountains of New York.

Let freedom ring from the heightening Alleghenies of Pennsylvania.

Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado.

Let freedom ring from the curvaceous slopes of California.

But not only that:

Let freedom ring from Stone Mountain of Georgia.

Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee.

Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi.

From every mountainside, let freedom ring.

そして、この日こそは……神の子たちすべてが、新たな意味をもって歌えるようになる日なのだ。
我が国は汝のもの、自由な甘い国、汝のことを歌おう。我が祖先が死んだ国、巡礼者の誇りの国、すべての山腹から、自由が鳴り響くように!」。
そして、アメリカが偉大な国家であるためには、これが真実にならなければならない。
ニューハンプシャーの壮大な丘の上から、自由を鳴らそう。
ニューヨークの力強い山々から自由を鳴り響かせよう。
ペンシルベニア州の高くそびえるアレゲニー山脈から自由を鳴らそう。
コロラドの雪をかぶったロッキー山脈から自由を鳴らそう。
カリフォルニアの美しい山々から、自由を取り戻そう。
しかし、それだけではありません。
ジョージア州のストーン・マウンテンから自由を取り戻そう。
テネシー州のルックアウト・マウンテンから自由を取り戻そう。
ミシシッピ州のすべての丘とモグラの丘から自由を鳴り響かせましょう。
すべての山腹から、自由を鳴らそう。

And when this happens, and when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God’s children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

Free at last! Free at last!

Thank God Almighty, we are free at last!

そして、これが実現し、私たちが自由の鐘を鳴らすとき、すべての村や集落から、すべての州や都市から鳴らすとき、私たちは神の子たちすべてが、黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、プロテスタントもカトリックも、手を取り合って、古い黒人霊歌の言葉で歌えるようになる日を早めることができるのである。
ついに自由になった! ついに自由になった!」。
全能の神に感謝しよう。私たちはついに自由になった!

まとめ

キング牧師のスピーチはI have a Dreamの部分が非常に有名ですが、象徴的な表現を繰り返し、その間に主張やエピソードを織り交ぜています。

繰り返される表現と文脈からの意味は以下です。

One hundred years later (リンカーンによる奴隷解放宣言から100年がたっても不平等が続いている)

we refuse(自由がないと考えることを拒否する。)

Now is the time to(今こそ立ち上がる時)

We can never be satisfied(平等になるまで決して諦めない。)

I have a dream(私には夢がある。)

With this faith(この信念があれば必ずできる。)

Let freedom ring(自由の鐘を鳴らせ。)

※愛国歌”My country, tis of Thee”からの引用

いろいろと時代背景を表す具体的な言葉が全文で見ると多いですが、象徴的な表現のみでも主張がしっかりと伝わります。

話し方の力強さも相まって、涙が出てくる感動的なスピーチです。

是非英語で聞いてみてください。

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